海洋光学


1)海洋光学のテキスト


可視域リモートセンシングや光と生物の関係を研究するには、適当な研究指導者が必要である。しかし、残念ながら日本にはこの分野で十分なバックグラウンドを有している研究者は極めて少ない。結果として、これらの分野で研究を行いたいという若手が入り難い環境にある。これに対応するには、自分で勉強するしかないのが現状である。そのためには、良いテキストが必要であるが。日本語の本はあるが、多くの間違いがあり良いテキストとは言えない。特に、十分な研究ベースを持っていない若手研究者や大学院生には、間違った知識が刷り込まれる結果となり、その後の研究に大きな障害となる。また、そのような若手研究者や大学院生をこれまで多く見てきた。世界では通じない。国際学会に出席していると、良い仕事をしている研究者は話題に上る。しかし、話題に上る日本の研究者は1、2人である。これが日本の海洋光学、海色リモートセンシングの学問レベルである。
導入として、最も適当なテキストは我々の世界で"Blue Bible"と呼んでいるJerlov先生(昔の名前はJonson)の"Marine Optics"である。この本は出版される年までの海洋光学に関する知見についてはエラーフリーである。勿論、現在は否定されている内容はあるが、これらの点についてはそれ以降の論文を読めば比較的スムーズにアップデートできる。海洋光学の分野を志す若手研究者、大学院生は必読書である。海洋光学の国際学会では、今でも"Marine Optics"に記載されている内容を例に引いた議論がなされている。この本の内容を理解していないと何が議論されているかさえも判らない事態に陥る。"Marine Optics"以降出版されたものではHojerslev先生の"Optical Properties of Sea waterがある。これは"Marine Optics"以降の研究成果をアップデートした感じの内容になっている。また、データが豊富に収録されており、研究を行う際にも十分に利用できる。
海水中における放射伝達に関しては、Preisendorfer先生の"Hydrologic Optics"がある。これは、水中の放射伝達について相当詳しく基本から説き起こされている内容になっており、この分野の研究を行いたいと考えている若手研究者には一読の価値はある。海水の光散乱についてはMorel先生の"The Scattering of Light by Sea water"がある。この論文は、1974年までの海水による散乱に関する知見を取りまとめたものであり、海洋光学に直結する内容になっているため、効率的に海水による光散乱に関する勉強、研究を行うには重宝なものである。
Mobley先生の"Light and water"という本が出版されているが、この本はPreisendorfer先生が進められていた仕事を引継ぎ、取りまとめた内容である。ある程度、水中の放射伝達に関するバックグラウンドを有している方が読まれるには良い本であるが、初学者、学生が理解するにはレベルが高く困難な内容である。表記はアメリカンクラッシクになっており、少々読みにくい。"Hydrologic Optics"の内容を十分理解した上で読む事をお勧めする。
Kirk先生の"Light and Photosynthesis in Aquatic Ecosystem"は表題どおり光と生物に焦点を絞ったものであり、この分野に進む人は読んでおくべき本の一つである。しかし、光の部分に関しては、やはり最低"Marine Optics"の内容を十分理解していないと中途半端な理解になってしまう恐れがある。この分野の知識を系統だて入手するには良い本であるが、データが少ないため、研究に実際もちいるには少々不便である。

2)海洋光学の研究に用いる測器についての注意


現在、海水の光学的特性を測定する測器が数多く市販されているが、購入すれば目的の量を手軽に測定できるという物ではない。市販の測器にはまったく意味の無い測器もある事を十分認識しておくべきである。また、光学測器を用いて目的の物理量を入手するには多くの補正が必要なものが多々ある。海洋の光学測器に関する測定理論は1960年代から70年代前半に研究が行われ、ほぼ確立している。測定に関する理論を十分理解し購入することが絶対の条件である。この点を疎かにするとまったく意味のない結果になりかねない。特に日本で行われている海洋光観測は、この点についての知識が決定的に不足している感が否めない。
例えば、水中のベクトル照度は市販の製品が多く発売されている。ベクトル照度を絶対値で測定するには、標準光源を用いて照度計を校正する。しかし、ここで注意しなければならないのは、この校正は実験室(空気中)で行われる点である。この様に校正された照度計を用いて水中の照度を測定すると、空気中と水中で同じ照度であったとしても、屈折率差の影響を受け、その出力は大きく異なってくる。厄介なことに照度計は光センサの前に拡散板を設ける必要がある。その結果、拡散板の影響は波長によって異なる。これを一般にイマ−ジョン効果を呼ぶ。市販の製品ではこの補正をしたものもあれば、していないものもある。仮にしたものであってもどのような方法で補正係数を入手したのか、使用者は十分確認しておくべきである。行っていない製品であれば、当然使用者がその補正係数を実験的に決定する必要がある。どのような種類の拡散板を用いるかによるが30−40%の影響をうける。海洋光学の分野を専門に研究している研究者は、この補正が簡単ではなく、相当の設備も必要であることを十分認識しているため、必要でなければ絶対値での観測は避け、相対値での測定を行うのである。イマージョン効果については、先に挙げた"Blue Bible"に述べてあるので一読される事をお勧めする。
スカラー照度計については、さらに注意を要する。スカラー照度を測定するにはコレクタの形が半球であればよいと単純に考えている研究者も多々見受けられる。最近、その様な研究者に出会った(2008年)。また、そのような日本製のスカラー照度計も販売されている。かんべんしてくれと言いたくなる。球形コレクタの下半分を覆い、外から見て半球になっている照度計もあれば、球形のコレクタを2分割した半球コレクタを光検出部にセットしたものもある。外から見たら、どちらもコレクタの形状は半球である。しかし、この2つのタイプのスカラー照度計と称する測定器はまったく異なった量を測定している。即ち、一方は物理的にまったく意味を持たない光量を測定(?)している。海洋光学の分野では、これを"ill collector"と呼んでいる。片方は"スカラー照度+別の照度"の量を測定している。この問題については、Hojerslevによって詳しく議論されているので、一読される事を強く勧める。イマ−ジョン効果の補正も必要である事は言うまでもない。
海色リモートセンシングの関係で輝度を測定することが多くなっている。それを測定するための輝度計についても注意すべき点がある。照度計を同様に屈折率の違いによる補正は当然必要である。輝度計は透明な窓が用いられるので、反射の補正は比較的簡単に行えるが、立体角の補正も必要である。自動的に行える測器もあるが、そうでない測器もある。また、水中の輝度を測定するには、使用する測器がどのくらいの立体角なのかが重要である。この点を知らない研究者が日本にはあまりにも多い。この問題に関しては前述のように多くの研究がおこなわれており、立体角は最低どのくらいを満たしておくべきなのかという条件もある。水中輝度計を用いて、船から海面の輝度を測定するということがよく行われている。しかし、水中輝度測定の立体角の条件を満たしているからといって空気中での輝度測定でも立体角測定条件を満たしているとは限らない。
最近は測定する事が少なくなったが海水の消散係数測定についても測定理論があり、装置としての条件、補正等がある事は十分認識すべきである。
現在、海洋光関係の測定装置は市販のものが多く入手できる環境にあるが、結果がすぐに入手できると考えるのは誤りである。測定理論を十分理解した上で購入、観測を行うのが今でも基本である。この点を十分認識しないで入手したものは解析に耐えうるデータではないと考えるべきである。

3)よくある勘違い


 照度反射率とアルベドは、研究者であっても勘違いしている場合が多々見受けられる。照度反射率は、仮想面を考えその仮想面の上部を照らす下向きの照度に対する、仮想面の下部を照らす上向き照度の比である。一方、アルベドは、仮想面の上部を照らす下向き照度に対し、仮想平面の上部から放射される照度の比である。海水中のある深さにおける、照度反射率とアルベドは同じになる。ではなぜ、二つの量を定義するかとの疑問が出てくる。この違いが重要な意味を持ってくるのは、海面を取り扱う時である。これについては、先に挙げた、"Blue Bible"にも述べてあるので一読される事をお勧めする。

4)海洋光学の展望:


1990年代以前までは市販の測器が入手困難であったため、測器は各研究機関で独自に開発していた。これがデータ入手の制約となっていた。その反面、各研究機関は、独自開発した測器の特性を十分理解し観測を行っていた。結果として、観測データの信頼性は非常に高いレベルを維持していた。1990年代以降は市販の測器が出回る様になり、入手も簡単になった。しかし、測器の事を理解して、観測を行う指導が十分行われ無くなり、測器を使いこなすには技量不足になっている感がある。例えば、イマージョン効果を補正した値なのか、補正していない値なのか、それすら分からず、照度や輝度の観測を行っている。そして、データベースの構築と称し、いろいろな研究機関が観測したデータを、一生懸命集めている。データベースにコンタミネーションが起きてしまう事に気づくべきである。そのようなデータベースを用いて解析を行っても、何も分からないし、間違った結果が出てくるだけである。特に、その傾向は日本の研究者に見られる。悲しい限りである。
昔のデータがどれ程、質の高いものであったのか、その一例をあげる。最近は、あまり用いなくなったが、JerlovのOptical Classificationと呼ばれるものである。これは、Jerlov先生が第二次世界大戦直後に行われた最後の探検型の調査航海であるAlbatross号の航海(1948)で、世界の主だった海洋において照度の測定を行い、その結果を用い、光学的な立場から海水を分類したものである。今から60年ほど前のデータである。当時の照度計は装置としての性能は、現在のそれに比べはるかに劣るものであった事は容易に想像できる。最近、オスロ大学のE.Aas先生(Jerlov先生の弟子に当たる)が、Jerlov先生が最もきれいな海域で観測された照度データを用いて、海水の光吸収係数を推定した研究を行っている。その結果を見ると、最新の吸収係数とほぼ一致している。驚くべき結果である。現在の我々は、果たして50年100年経っても耐えうるデータを入手しているのであろうか?観測装置自体の性能は飛躍的に向上しているが、それを取り扱う研究者の技能が十分あってこそ、その性能を発揮できると認識すべきであろう。自戒も込めて。
海色リモートセンシングの関係で海水およびその中に懸濁している物質(植物プランクトン)の吸収係数の測定法はほぼ確立し、かつ測定が簡便であるためデータは年々充実している。一方、光散乱のデータはその測定が極めて複雑、微小であるため、十分な経験が必要である。海外でも光散乱の経験を有している研究機関は極めて少なく、データも皆無の状態にある。
海色リモートセンシングは比較的新しい手法であると思っている人が多い。しかし、この方法は第一次世界大戦直後、食糧難に陥ったドイツ、およびイギリスにおいて飛行機によって海の色を上空より観測し、その色の状況を漁船に連絡し、漁場を知る手段として用いたのが、私の知る限り最も早い海色リモートセンシングの応用例である。現在は、目視観測に代え光センサにより定量的な観測を行っているだけである。
海洋光学の分野では、ベクトル照度反射率によって海の色を定義している。照度反射率は厳密には見かけ上の光学的特性であるが、実質的には海水固有の光学的特性であることが観測によって示されている(JerlovのBlue Bible参照)。この点に着目したのが海色リモートセンシングである。周りの光の状態が変化しても、実質的に大きくその量が変化しないのは、物理的に厳密に定義された海水固有の光学的量と密接に結びついているはずであるとの発想で、多くの研究が行われている。それらの研究は、式の形は若干異なるが、どの研究も後方散乱係数と吸収係数の比によって決定されるという結論に達している。ただし、ロシア(旧ソ連)は独自のアプローチをおこなっているので別の結果になっている、この点は十分考慮すべきである。分光学の教えるところでは、スペクトル吸収(散乱)の形は物質の種類、またその値は濃度になる。簡単に言えば、これが海色リモートセンシングの基本原理である。
吸収と後方散乱の量を見ると、はるかに吸収が大きい。そこで、測定が簡単、かつその占める割合も大きいということで吸収に着目するのは至極当然であると思われる。この考え方は吸収と散乱が独立に起きる現象であれば順当なアプローチである。しかし、散乱と吸収は同時に起きる現象であることを忘れるべきではない。外洋は懸濁物質の構成は単純であるため、ある程度このようなアプローチで対応できた。しかし、人間の経済活動、社会活動と密接に関る沿岸域は生物学的にも重要な海域であるが、沿岸域はその物質構成が複雑であるため、吸収を中心にデータ収集、解析を行っても海色リモートセンシングから情報抽出を行うことは見通しがないと考えられる。沿岸域への海色リモートセンシングの適用は不可能という意見もあるが、散乱に関するデータ解析がまったく進んでいない現状では、沿岸域への適用はうまく行っている例は少ない。しかし、散乱と吸収をセットとして解析すればその可能性も見えるかもしれない。ここに大きな研究テーマがある。残念ながら、日本で海水の散乱問題にアプローチできる研究機関は皆無の状態である。散乱関数を日本では散乱された光の角度分布と理解している研究者が殆どである。確かにそのような側面はあるが、散乱関数の本来の物理的意味は、散乱係数の角度分布という意味である。散乱関数を散乱光の角度分布と理解したがため、散乱体積を中心として光センサを単純に回転させた測器が数多く見られる(これはもはや測器ではないが)。
散乱関数を測定するには、前述したように測定条件というものがあり、それを満たしていないもので入手されたデータ(これももはやこれもデータではないが)では解析に耐えられない。他の研究機関が測定した散乱関数を用いる場合、必ず測器の物理的形状(特に、散乱体積からセンサまでの距離。入射光の大きさ:散乱体積が点光源として挙動するというのが条件である)が確認できるデータを用いるべきである。
後方散乱係数は散乱関数を後方半球で積分した量であるが、この値を定義に従った測定から求めると多大な時間を要し、実用的でない。一般には後方散乱角の散乱係数と後方散乱係数が比例関係にあるという研究結果に基づいた方法が用いられる。市販の測器も入手できる。しかし、この方法は外洋では殆ど問題ないが、植物プランクトンの豊富な海域、あるいは沿岸域の海水に対しては推定誤差が大きくなる危険がある。この問題を解決するには定義に従った測定が最善の解決策である。新しい光学系を採用し、迅速かつ高精度の後方散乱計を開発し、スペクトル後方散乱係数を測定した結果を簡単に紹介する。前述のようにスペクトル後方散乱係数は測定が困難であるためデータだ存在しない。海色リモートセンシングデータをインバースモデリングで処理するために、スペクトル後方散乱係数は波長とともに単純に減少するというモデルを採用している。しかし、植物プランクトンの測定結果を見ると、このような単純なモデルでは対応できないのは明白である。この複雑なスペクトルを説明する為に、異常分散を考慮した解析を行うと定性的ではあるがうまく説明できる。この結果は沿岸域に海色リモートセンシングを適用する上で重要なカギになると考えられる。また、植物プランクトンの種類、さらには状態に対しスペクトル後方散乱係数は極めて敏感である事も次第に判ってきた。


もっと光を、ブラインドを開けてくれ scat120, Tomohiko Oishi, 2009 12 Jun